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タブー(隠しごと)

 

「20世紀最大の人身売買」 誰が誰を

 

日本統治時

朝鮮人少女誘拐

路上少女誘拐事件 

東亜日報1933年6月30日  路上で少女を略取し醜業中人に売り渡す。被害者金神通を売り飛ばした男女二人を検挙、犯人はパク・ミョンドンとイ・ソンニョ(女性)。日本の警察が救出し誘拐魔達の手口が判明した。于濱海(35)に惨殺された金徳雲の娘、神通を誘拐した犯人が昨日28日の夜10時頃、とうとう鍾路署の司法刑事隊に捕まった。犯人は、住所不定で流浪する朴命同(37)(仮名)と夫と子供のいる李姓女(41)(仮名)の2名で、彼らは、路上で少女たちを専門に誘拐を繰り返し中国人らに売り飛ばした略取誘拐の前科者だった。朴命同は、府内の黄金町1丁目方面で、李姓女は、府内の孔徳里方面でそれぞれ逮捕され、現在厳重な取り調べを受けている。神通を誘拐した手口は、神通が失踪した今年5月19日に犯人の朴命同が路で遊んでいる彼女を略取し李姓女に渡したものであった。誘拐した少女を常習的に売買していた李姓女は朴命同と共謀し、同月12日に普段からの知り合いである今回の少女惨殺事件の犯人于濱海に20ウォンで売ったという。

  

良家少女誘拐事件

東亜日報1938年12月4日 良家少女を誘拐して満州に売り飛ばし金儲け、釜山署犯人を逮捕。 

【釜山】全南郡山府開福町1丁目58の紹介業者田斗漢(58)は、さる11月15日釜山府宝水町1丁目の月星旅館で投宿していた。釜山府本町5丁目46下村貞子(19)と経営邑曙町26の菅原静香(17)の二人の少女に満州での就職をもちかけて誘拐し、自分に親権があるかのように遊郭に売るとして委任状を偽造した。彼女らにはそれぞれ150ウォンを渡し、満州方面には数百ウォンで売り飛ばす計画で群山に連れ出すところを所管の釜山警察署が探知して逮捕し、現在厳重な取調べを受けている。この男は、いわゆる紹介業という看板の下このような手口で良家の少女を多数誘拐売却した余罪が多いと見て追及をしている。

「韓国朝鮮のタブー」 新日本人(朝鮮人)の性犯罪  東亜日報 1933年5月5日 戸籍を偽造 醜業を強制、悪魔のような遊郭業者の所業。 犯人は警察に逮捕。犯人の呉正渙は、娼妓業を営みながら多数の幼い少女を買うなど前述のような犯行をおこなっていたと見て、今後、公文書偽造などの罪で厳重処罰する方針。
「韓国朝鮮のタブー」 新日本人(朝鮮人)の性犯罪  東亜日報 1934年7月16日  売られた養女 涙の訴え~11歳少女売春強要 7月17日に市内本町署保安係(?)に泣きながら保護を懇願する事件があった。 宋相奉(11歳)は、養父という者がハンドン里の金弘植から250ウォンを受け、(宋嬢を)売ってしまった。
「韓国朝鮮のタブー」 新日本人(朝鮮人)の性犯罪  毎日新報 1939年3月28日  農村の娘誘引して100人余りを売る。金持ちと4親等の家族、親戚の朝鮮人が拉致をした。これを日本の警察が検挙して女性たちを救った。  
「韓国朝鮮のタブー」 新日本人(朝鮮人)の性犯罪  東亜日報1939年8月31日  朝鮮半島の悪徳業者が100名を超える婦女子を売り飛ばす。  

タブー(隠しごと)


日本統治時の略取誘拐検挙数
(朝鮮総督府統計年報)
・ 1935年 総数 2,506人
    朝鮮人 2,482人 99.0%
  日本人 24人 1.0% 
・ 1938年 総数 1,709人 
  朝鮮人 1,699人 99.4% 
  日本人 10人 0.6% 
・ 1940年 総数 1,480人 
  朝鮮人 1,464人 98.9%
  日本人 16人 1.1%


帝国軍慰安婦(~1945年9月2日)


第二次世界大戦終戦前

日本帝国軍の精神
「敵を敬う心」 武士道 

日本帝国軍は戦場の「敵国女性」を保護する政策を重要視し、戦場での兵の性処理方式は軍属的な「従軍置屋」を選択した。また、兵士の性病罹患は戦力に大きく関わるので、慰安所の経営は民間人であったが経営サイドには厳重に注意を促した。その結果、日本軍の戦場でのレイプ発生率は他国軍に比べ極めて少なく世界第一級の模範軍であった。性病罹患者も1.2%という世界の軍隊で最も低い罹患率。

日本帝国軍従軍慰安婦
日本軍相手の慰安婦は戦士(兵士)の心が安らぐことを願い戦地の軍に随行した売春婦たち。残された当時の書類や新聞によると慰安婦の募集は民間の業者が新聞等で公募、収入も当時の日本帝国陸軍大将をはるかに超える金額。因って日本帝国軍従軍慰安婦は朝鮮人女性達には高い人気の高給売春婦であった。

  

新日本人慰安婦の貯蓄

慰安婦であった韓国朝鮮・大邸市に住む新日本人の文玉珠문옥주ムン・オクジュ)氏が第二次世界大戦中「従軍慰安婦」としてビルマ(現ミャンマー)に赴き軍事貯金をした。1992年5月11日、山口県下関市の下関郵便局を訪れ、預けた貯金の原簿があったことが分り引き下ろしを求めた。原簿によると昭和18年(1943年)3月から20年(1945年)9月まで12回の貯金の記録があり預入額は26,145円となっている。預入額を現在の金額に直すと5,200万円余りになる。

「日帝従軍慰安婦」 ビルマのミッチーナでアメリカ軍に捕らえられ尋問を受ける慰安婦 (1944年8月14日) 新日本人の朝鮮人慰安婦20名に対する尋問では、 ミッチーナでの生活環境は買い物や外出などが自由で、将兵と共にスポーツ、ピクニック、娯楽、社交ディナー、蓄音機も楽しんだ。泥酔した軍人の接客を断る自由もあった。
「日帝従軍慰安婦」 慰安婦達のこの笑顔  ピクニック 日本軍将兵を追い河を渡る二人の慰安婦。 軍は慰安所経営者に対し、借金を返済した慰安婦は帰国することができるようにせよと命令書を発行、一部の慰安婦は帰国を許され朝鮮に帰った。  
「日帝従軍慰安婦」 慰安婦募集広告  『京城日報』(1944年7月26日付)年齢 17歳以上23歳迄 月収 300円以上(前借3000円迄可)と『毎日新報』(1944年10月27日付) 応募資格 年齢18歳以上30歳以内身体強健な者 契約及待遇 本人面談した後即時決定する。 
「日帝従軍慰安婦」 韓国・大邸市在住の新日本人 文玉珠(문옥주ムン・オクジュ)氏の軍事貯金原簿  ちなみに当時の貨幣価値 18年幕の内弁当40銭 18年理髪料金80銭 19年朝日新聞朝夕 月1円30銭 17年タクシー初乗り 80銭。 

タブー(隠しごと)

 

済州島四・三事件(1948年4月3日)

 

第二次世界大戦終戦後
朝鮮人少女誘拐


日韓併合前の李氏朝鮮時代より済州島は権力闘争に敗れた者の流刑地で、弾圧と迫害が酷く「白丁 ペクチョン」などと朝鮮半島から差別されていた。ゆえに済州島民は元々反体制的な色彩の強い地域で、当時南北統一派が主流であった。

1947年3月1日、済州市内で「南北統一された自主独立国家の樹立」を訴えるデモを行っていた島民に対して李承晩の命により警察が発砲、島民6名が射殺される事件が起きた。この事件を機に3月10日、抗議の全島ゼネストが決行され、抗議行動が拡大し続けた。翌1948年4月3日未明に島民は10か所以上の警察署を襲撃した。

これにともない在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は警察官や北部・平安道から逃げてきた若者を組織した右翼青年団体「西北青年会」等を済州島に送り込んだ。

済州島に渡った彼等は島民の処刑・粛清を行った。

 

1947年3月1日から1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件で島民の5人に1人にあたる6万人が殺害、その内、女は強姦・SEX SLAVE(性奴隷)にされた後に虐殺された。残りのほとんどが日本に逃れ、28万の島民が3万人弱になった。

しかし日本に逃れたその朝鮮人達は日本統治時に渡航規制を犯して密航し、1945年終戦でGHQの帰国令を無視した半島に帰らぬ残留朝鮮人とで朝鮮進駐軍等と名乗り日本各地で強盗・強姦・殺人などの悪事を働き、敗戦により疲弊の極みにあった日本の人々を苦しめた。

(ウィキペディア 在日韓国・朝鮮人の事件年表参照)

「韓国朝鮮のタブー」 済州島四・三事件 李承晩が犯した島民大虐殺  済州島の大虐殺はWWⅡ終戦後、1948年4月3日発生 被害者は韓国済州島民、加害者は南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、李承晩を支持する西北青年会など。 この大虐殺はアメリカ陸軍司令部軍政庁期なのでアメリカが深く係わっている。 この時に少女や若い女性は直ぐ殺害されずSEX SLAVE性奴隷扱いされた後殺害された。  
「韓国朝鮮のタブー」 死体の山  済州島四・三事件 李承晩が犯した島民大虐殺  
「韓国朝鮮のタブー」 済州島四・三事件 李承晩が犯した島民大虐殺  
「韓国朝鮮のタブー」 済州島四・三事件 李承晩が犯した島民大虐殺  済州島の大量処刑・虐殺が1953年の朝鮮戦争休戦の時を超えて54年まで続き死体の多くは海に投げ捨てられた。その死体が日本の対馬や北九州に流れ着き現地の人々が嘗て新日本人であった朝鮮人の遺体を手厚く葬り供養した。  現在日本に住むかなりの数の在日朝鮮人の親や祖父母達がこの時逃れ来た者達。  

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保導連盟事件(1950年6月25日)

 

第二次世界大戦終戦後
朝鮮人少女誘拐

国民保導連盟とは 
朝鮮戦争(韓国戦争)が始まる1年前の1949年に共産主義からの転向者やその家族を再教育するため韓国朝鮮政府がつくった統制組織。国内にいる共産主義者たちの思想を転向させ、大韓民国への絶対的支持を誓わせようというのが設立趣旨。

 

114万人大虐殺

1950年6月25日、朝鮮戦争勃発。朝鮮人民軍が南進しソウルに迫った。6月27日、李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令を発し、自身は同日中にソウルを脱出、敵前逃亡を図る。このとき李承晩は北朝鮮のソ連製戦車部隊の侵攻を遅らせ確実に逃げることを考え、橋の爆破を命ずる。

しかし爆破時、漢江の北側のソウルの街には、まだ多数の韓国朝鮮軍兵士や一般市民が取り残されており、橋爆破により孤立した韓国朝鮮軍兵士とソウル市民は北朝鮮軍によって殺害された。

李承晩及び韓国朝鮮軍はアメリカ軍供与の装備まで捨て朝鮮半島南端の釜山まで逃亡を図った。

尚、李承晩の保導連盟員と南朝鮮労働党関係者の処刑命令により共産主義を疑われた韓国朝鮮人の家族までもが強制連行され、裁判無しで男性が処刑される傍ら、多くの若い女性がSEX SLAVE(性奴隷)として連行され、慰安婦にされたり民間反共自警団幹部ら専属のレイプ要員とされた。

その後それらの女性の多くが秘密保持・口封じのために処刑され、その数がおよそ20万人近くに上り、長いあいだ韓国朝鮮で最大のタブーとされた。

 

遺族会
保導連盟事件の遺族会である「全国血虐殺者遺族会」が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。

「韓国朝鮮のタブー」  李承晩が犯した大虐殺 「保導連盟事件」  絶体絶命の青少年達 穴に投棄された民間人の死体 大田(テジョン)での殺戮 虐殺現場に立ち会ったアメリカ軍が撮影、アメリカ国立公文書館保管
「韓国朝鮮のタブー」  李承晩が犯した大虐殺 「保導連盟事件」  自国民間人を大虐殺 李承晩は死刑に処する証拠も何も全く無い114万人の一般民間人を殺害した。その内女性20万弱をSEX SLAVE(性奴隷)にし、事実を隠蔽する為最後に殺害した。  
「韓国朝鮮のタブー」 穴に入れ射殺 穴の周りにも穴を埋めた小さな山々  保導連盟事件 李承晩が犯した大虐殺 射殺するのは韓国人兵 1950年6月27日朝鮮戦争開戦直後、李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令を発し、アメリカ軍もそれを見守った。
「韓国朝鮮のタブー」 保導連盟事件  李承晩 漢江の橋を爆破し敵前逃亡  韓国軍が日本統治下朝鮮総督府1917年竣工の漢江人道橋(現在の漢江大橋)を爆破し逃亡、爆破により橋を渡る民間人800人あまりが死亡した。

タブー(隠しごと)

 

 戦争と軍隊の性処理

 

『歴史を偽造する韓国 - 韓国併合と搾取された日本』 中川八洋著 (2002.4)

 

「戦場の性」の処理方式は古今東西で4つの類型しかない。
【1】ソ連方式………強姦
【2】アメリカ方式現地施設の利用。
【3】日本方式………軍の管理のもとで民間業者が営業最も合理的・人道
      的
【4】十字軍方式……娼婦が個々に軍に随行。

 

戦時における軍隊の将兵の性の処理は、大きく四つある。
Ⅰ、モンゴル/ロシア型の敗戦側女性に対する無制限の強姦。
Ⅱ、前線の近くの都市に売春婦の街をつくり(既存のがあればそれを管理
      し)、前線から定期的に兵士を後送して利用させる制度。
      戦争終了後の占領であれば占領地に(それを職業とする)現地女性を
      もってその売春管理施設を設置する。
Ⅲ、出征する軍が、売春婦を雇用する民間の置屋を一種の軍属的に同行さ
      せ、前線よりやや後方の、兵站部隊あたりに設置する。「従軍置屋」
      である。
Ⅳ、売春婦が勝手に軍部隊の駐屯(野営)地に群がる。
 

軍の将兵は、聖人でもないし修業僧でもない。とりわけ戦場では明日の生命は保障されておらず死と直面し、また質の悪い兵隊はいくらでもおり、平時以上に性の処理の問題が生じる。かくして、戦争に際して上記の四つの形態以外は存在しえないし、かつて存在したことはなかった。ヨーロッパからアラブに侵入した十字軍は、将兵の数とそのあとに群れてついていった売春婦の数がほぼ同数であったという。第型である。Ⅰ型は許されざることである。Ⅱ型とⅢ型は型を防止する機能をもつから、「必要悪」とするべきであろう。レイプは防止しなくてはならない。20世紀においても、ロシア(ソ連)は13世紀のままに型を踏襲し、ドイツ/フランスは型を主とし、米国は型を基本とした。ヒットラー下のドイツは、「第三の敵」ユダヤ人女性その他の特定民族の婦女子を、強制的に置屋に配置させたⅠ型に近いⅢ型であった。第2次世界大戦における戦場でのレイプ発生率については、日本軍は他国に比して際立って少ない。まさしく称讃されるべき世界第1級の模範軍であった。Ⅲ型の「従軍置屋」制度を運用し、戦場の「敵国」女性を保護する政策を立派に遂行した、その結果であった。また、慰安婦がすべて民間の純粋な「市場」において集められた点でも世界の範であった。この型は第1次世界大戦でドイツ軍とフランス軍が制度化したとも言えるから、1930年代以降の日本軍はそれを模倣したのである。
 

「従軍置屋」をもって、「日本のみがなした野蛮な制度」とするのは歴史事実に反する。日本を中傷するための悪意ある嘘である。

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