Home > (補)朝鮮半島 『恨』ハン の歴史 > 白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

 白衣民族の社会生活


「イザベラバード」の画像検索結果

イザベラ バード

 

英国人女性旅行家Isabella L. Bird 

「朝鮮紀行」(Korea and Her Neighbours)よりBird が見たSeoul

 

都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。
おまけに、その幅は
家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。
酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。
蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている。

Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。
古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。

結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。

白衣民族朝鮮 朝鮮半島伝統の風景 藁ぶき屋根の家並 1880年代のソウル  南大門大通り(中心街)  眼下に広がる藁ぶき屋根と遠方の見渡す限りの禿山。 家の中の土間に竈(かまど)を設け、そこで木を燃やし温暖にしてその上に座して冬の寒を防ぐ。 そのため極めて多量の燃料を必要とするが彼等、狩猟と遊牧の民エベンキ・ワイ族を祖とする朝鮮人には植林植樹の考えや感覚・知識が全く無く、山々は禿山となっている。
白衣民族朝鮮 ソウル 東大門通り  石ころと泥土壁・藁ぶき屋根で出来た伝統家屋の家並。 屋内は床・トイレ・風呂が無く、生活は直接地面に藁茣蓙(わらござ)を敷き寝食をしていた。排尿排便は外の道ばたでするか、もしくは容器を使い排便をして糞尿を家の外に或いは傍に川や用水路が有ればそこに捨てていた。 まさしくツングース系民族である狩猟とトナカイの遊牧民エベンキ・ワイ族の生活習慣そのもの。
白衣民族朝鮮 崇禮門(南大門)城外側 明治21年(1888)~明治24年(1891)  林武一撮影  ソウル最古(1398年)の木造建造物。2008年2月10日、崇礼門が放火により全焼し石垣を除き崩壊。2013年4月、復元工事終了。しかし同年10月、丹青(たんせい・絵具)に亀裂や退色が発生、日本の塗料や接着剤が原因と大騒動。その後、丹青の膠(にかわ)が日本の天然のものではなく、韓国朝鮮の安い化学顔料を用いたことが判明。
白衣民族朝鮮 韓国朝鮮の敦義門(西大門 撮影年代 明治21年(1888)~明治24年(1891) 林武一撮影  朝鮮の漢城判尹(ソウル長官) 朴泳孝の建白書 「王宮や後宮から街、道路、橋にいたるまで、塵芥が丘陵を成し、糞屎は金を塗るが如し。これ外国人が大いに恐れるところ、そして嘲笑するものなり。見るところ極めて美しからざるのみならず、その蒸発の気は必ず疫病を醸成するものなり」。

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

イザベラ・バード『朝鮮紀行』より

 

「朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。

両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけかき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」

「当時はひとつの道に44人の地方行政官がおり、そのそれぞれに平均400人の部下がついていた。部下の仕事はもっぱら警察と税の取り立てで、その食事代だけをとってみても、ひとり月に2ドル、年に総額で39万2,400ドルかかる。総員1万7,600人のこの大集団は『生活給』をもらわず、究極的にくいものにされる以外なんの権利も特典もない農民から独自に『搾取』するのである。」

 

イザベラ・バード・ビショップ(Isabella Bird Bishop)

ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より

 

「市民は地上に瓦または藁を並べた平屋の下に潜り込んで生活している。
いや不潔な道路に蠢動していると形容した方が良いだろうか。
その道路は広くても二頭の馬が並べるほどではない。
狭いところで大きな荷物を担いだ人が通ると、それだけで往来を塞いでしまうほどである。
道路のはしには悪臭が辺り一面臭ってくる溝があり、路面は埃まみれの半分裸の子供達と、猛悪な犬とによって占領されている。」
「下水道は、市内の汚水を昼夜絶え間なく城外へと排せつしている。
そのため、下水道の泥は真っ黒で、遙かな昔からの汚水によって染められ悪臭を空気中に放散して旅人を悩ましている。」
「ソウルは汚いことと臭いことでは世界一である。」

 

白衣民族朝鮮 京城(ソウル)市内 驚愕の光景  用水路(朝鮮では人糞を投棄する下水道)での大根洗い作業。 世界の旅行者が言う清浄と汚濁の違いが解らぬ未開の土人。 しかしエベンキ・ワイ族を祖とする朝鮮人としては至極当然の生活習慣。ちなみに朝鮮人御自慢の漬物キムチは日本統治下において朝鮮総督府が製造禁止の命を出している。
白衣民族朝鮮 朝鮮人の日常風景 川で洗濯   日本統治以前、朝鮮人女性達はこのように汚物の澱む川で洗濯をしていた。 
白衣民族朝鮮 朝鮮の伝統家屋  日本統治の前、石ころと泥土の壁・藁ぶき屋根・窓無し・床板無し・風呂トイレ無し・井戸無しの家屋。 朝鮮人の入浴に関して、生れて三日目に入浴し以後入浴はその一度のみで生涯を過ごす。 朝鮮人はエベンキ・ワイ族の生活様式をそのまま継承し続けていた。
白衣民族朝鮮  朝鮮では伝統的に、一般庶民が日常生活で着る服は白一色であり、宮中など特権階級を除いて、色物や柄物の衣服はほとんどなかった。そのため朝鮮民族は白衣民族と言われた。日本統治時代に色服が奨励され、洋服も普及した。 ウィキペディア 朝鮮の文化より

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

「最近朝鮮事情」  荒川五郎著  上・中・下 

 

 明治39年(1906年)  清水書店

 

・衛生観念は全く無く、獣に近い。

・勤勉とか責務という観念は無く、雨が降ったらそこらじゅう水だらけになるので仕事をしないで呆然としている。 雨が降ると動かないので雨具が無い。 日本の傘を入手すると嬉しそうに周囲に自慢している。 ようするに、治水という概念が無い。 
・雨が降って水が濁っても、ろ過して使うという事をしないで濁ったまま水を使う。 とにかく衛生観念が無く、伝染病がはびこっている。 
・濁っている水だろうが、小便や糞が混ざっている水でも平気で飲む。 とにかく不潔で、味噌と糞も朝鮮人にとっては一緒。 
・壁は馬糞を混ぜると壁が固くなるので混ぜる。 
・驚くべき事に肌のきめが細かくなると言い小便で顔を洗う。 
・肺結核や解熱として小便を飲む・いよいよ病気が酷くなると、大便を食べる。 
・穴で暮らしているから夏は暑く、家の外で寝るが、顔の近くを大便や小便が流れているが、 朝鮮人にとっては臭くないらしく、平気で寝る。 
・小便壷が家の中にあり、客がいても平気で小便をする。 また、痰を吐くときは口の近くに壷を持ってくる。 
・雨が降るとこれらの不潔物と雨水が一緒になりすねの上まで浸かり、家の中の物が水に浸るが、 洗うという事はしないでそのまま使っている。 
・婦人が洗濯をしているので見てみると小便水と見分けの付かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。

白衣民族朝鮮  1着しかない服が濡れると困るので水辺では服を脱いで働く。下着は着用しておらず脱ぐと性器まで露出の全裸。
白衣民族朝鮮  人糞が澱む用水路で洗濯
白衣民族朝鮮  伝統家屋の家並 丸い藁葺き・土壁の住居はアフリカの田舎の民家とよく似ている。 
白衣民族朝鮮  伝統家屋の家並 

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

李氏朝鮮 病気治療

 

民間療法 

 

身不足(栄養不良)

・松の木に「寄生する木を」煎じて服する 

・「南瓜の上に止まった」青蛙の後ろ足二本を食べる 

・6、7年経った洗濯棒の両端を削って焼き煎じて飲む(洗濯棒に霊的な信仰がある) 

・十二・三歳の童の小便を服する 

・胎児を野菜と共に煮込み食べる(儒教文化の影響) 

 

気不足(神経衰弱)

・犬の汁を飲む(後の補身湯である) 

・古き火鉢を粉末にして空腹時に酒と混ぜて飲む(火鉢に霊的な信仰がある) 

・人胎(胎盤)の血を竹刀で切ってごま油と煮混ぜて食べる 

・人胎を丸薬をし丸呑みする 

・長男の胎盤を煎じて三回飲む(胎盤食は大陸では現在も行われている) 

 

肺病

・ニワトリの雛を生食する(後に煮込み料理となり、参鶏湯へとつながる) 

・人肉のかゆを食べる(凌遅刑に処せられた罪人の死体が販売されていた) 

 

精神病

・頭上を焼く(灸の一種である) 

・美人の経水を飲む(現代の美人とは価値基準が違うので注意が必要である) 

 

内臓病

・犬の糞水を1日二三回服用 

・犬の脂を飲む 

・農家にて永年使用せし小便溜の桶を煎じて飲ませる(排泄物に神秘性を感じる風潮の影響) 

 

高熱

・解熱剤として野人乾水(大便を水で溶いた物)を飲用する(李氏朝鮮時代・中宗) 

 

梅毒

・竹筒に焼酒(焼酎)を入れ、注ぎ口を蝋で塞ぎ、便壺の中で半年間漬け込む。便壺から取り出し竹筒をよく洗い、中の酒を飲用に用いる。半年以上の服用が理想的。 

 

肌荒れ

・小便を肌に塗り込む、特に小児の小便を重用する(小児の小便はきれいであると考えられていた) 

 

精力強化

・薪割りをする。(薪割りは腰を丈夫にして、性器の血液循環を円滑にすると考えられていた) 

・カイコの糞を食べる 

・蟻を炒めて食べる 

 

早漏

・馬糞を食べる(馬の精力にあやかった呪術的意味合いが濃い) 

 

産後の滋養

・わかめスープを産後の女性に食べさせる。造血、血の浄化作用があり滋養があると言われている。 

 

参考資料

今村鞆『朝鮮風俗集』斯道舘  その他 

白衣民族朝鮮 「腸チフス」  京畿道 腸チフスを防ぐ牛の頭とニンニク。
白衣民族朝鮮 「マラリア」  全羅南道 マラリヤを治すのに実父の姓名を足の裏に書いた。 患者が男ならば左足、女ならば右足の裏に書くという。 右足に「朴大容」と書かれている。
白衣民族朝鮮 「コレラ」  唐辛子の力でコレラを退散させる。
白衣民族朝鮮 「赤痢」  慶尚北道 赤痢は器の上に箸を十文字に置き、中に水を注ぐ。 この水を飲むと治るという。

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』より

 

「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」

「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」

「両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、自ら金銭を得るために様々な手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には金が無いと主張する。」

「すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎとる。のちに守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。」

白衣民族朝鮮 朝鮮社会上位者の行列  乗り物は軺軒(チョホン) 一輪車。
白衣民族朝鮮 軺軒(チョホン・猫車)  朝鮮時代の正二品以上の官吏(大司憲や観察使、武将など)が乗った車。  旧韓国朝鮮には染色技術が無い為、王族等の上位者の衣服は宗主国清(現中国)から購入 上位者以外の人々は全て白木綿の白衣を着る。 故に旧韓国朝鮮人を白衣民族と言う。 白衣の汚れは、洗濯をすると生地が傷むので極力洗濯を控えた。
白衣民族朝鮮 両班 尹雄烈 (左) とその友人(1904年) 上流階級のひまつぶし。  名前の付け方、煙草を吸う長いキセルは宗主国の清国(現中国)由来。
白衣民族朝鮮 王宮 宮女(クンニョ)  李朝八賤の一つ 王宮での性の対象 女官たちは幼少時に宮中に入り、宮廷のしきたりや礼儀作法、ハングル、小学や大学などの様々な教養を15年の見習い期間の間に学んだ。

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

「朝鮮事情」シャルル・ダレ著
金容権訳 東洋文庫

 

官吏の地位は公然と売買され、それを買った人は、当然その費用を取り戻そうと努め、そのためには体裁をかまおうとさえしない。上は道知事から最も下級の小役人にいたるまで、徴税や訴訟やその他のすべての機会を利用して、それぞれの官吏は金をかせぐ。国王の御使すらも、極度の破廉恥さでその特権を濫用している。(p.71)

朝鮮における学問は、全く民族的なものではない。読む本といえば中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。公開試験〔科挙〕は、最も学識があり最も有能な人に学位免許状が授与されるのではなく、最も多額の金を持った者や最も強力な保護者のいる人びとに対して与えられている。(p.135)

朝鮮においても、他のアジア諸国と同じように、風俗は甚だしく腐敗しており、その必然的な結果として、女性の一般的な地位は不快なほどみじめで低い状態にある。女性は、男性の伴侶としてではなく、奴隷もしくは慰みもの、あるいは労働力であるにすぎない。(p.212)

朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。(p.269)

不思議なことに、軍隊は概して非常に弱い。彼らは重大な危機があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。(p.272)

衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんと清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でも、しばしば虫がついて破れたままの服を着用している。(pp.303-304)

朝鮮人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。(p.309)

商取り引きにおけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。航行の可能な河川は非常に少なく、ただいくつかの河川だけが船を通すが、それもごく制限された区域の航行が許されているだけである。この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。したがってほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。(pp.314-315)

アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。1860年から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。(p.323)

 

[大和心を語るねづさんのひとりごと 李氏朝鮮の時代]より抜粋

白衣民族朝鮮 遊牧民エベンキ・ワイ族を祖とする韓国朝鮮のチャンスン(トーテムポール)と良家の子女
白衣民族朝鮮 頭の上に入れ物を載せた朝鮮の子供達  大人の女性と同じ姿。 顔や衣服は汚れ放題だが屈託の無い笑顔が可愛らしい。 なお、朝鮮人の汚れが酷い理由は、第一に洗顔や風呂に入る習慣が全く無かった事。 第二に生成木綿の生地が傷むので洗濯を嫌った事。 総じて衛生観念が非常に乏しく、故に伝染病の蔓延が甚だしい所であった。
白衣民族朝鮮 伝統家屋の家並と朝鮮の子供達 1904年 George Rose 撮影  漢城(ソウル)の城壁。  藁ぶき屋根と遠方の見渡す限り禿山の連なり。なお禿山は植林植樹をせず、長年に亘る燃料確保の為の伐採が原因。 これは狩猟遊牧の民エベンキ・ワイ族の生活習慣。
白衣民族朝鮮 朝鮮ソウルの子供達 1903年 Herbert G. Ponting撮影   漢城(ソウル)の書堂(ソダン・私塾)日本の寺子屋の様な所。 

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

ジャック・ロンドン

 

ジャック・ロンドン(Jack London、1876年1月12日-1916年11月22日)は、アメリカ合衆国の作家。

 

『鉄の踵』を書いた米国の作家ジャック・ロンドンは20代後半、露日戦争の従軍記者として活動した。当時、約4か月間、戦場だった亡国前夜の朝鮮に滞在した彼が書いて送った文章等は様々な新聞、雑誌に掲載され、その文をまとめた本も出た。

「白人旅行者が初めて韓国に滞留する時、最初の何週間かは気持ち良さとはまったく縁遠い。もし繊細な人なら、二種類の強烈な欲求の間で葛藤しながら大部分の時間を過ごすだろう。一つは韓国人たちを殺したいという欲求であり、もう一つは自殺したいという欲求だ。個人的に私なら前者の選択をしただろう。」

当時の米国と比較すれば最低の社会インフラや不足した公共施設、物資などの影響もあったが、彼が何より耐えられないとしたのは惰弱で怠惰で盗み上手、そして弱者に強い韓国人たちの性格だった。自身が動物園の猿のように見せものになると、韓国人はすぐに不必要に好奇心が強いという非難を口にする。ロンドンは、韓国人がうまくできる事が「一つだけある」とし、荷物をひく動物のように黙々と荷物を運ぶことだと指摘している。

白衣民族朝鮮 水売り人(飲み水)  大半の井戸は4尺(1.2メートル)前後の日本の井戸とは程遠い深さで、当然その浅い井戸の為、街中の全ての糞尿が雨水に溶けて土中にしみこみ、井戸水は汚れ放題であった。 
白衣民族朝鮮 旧韓国朝鮮 良家の暮らしぶり。  瓦葺の屋根で上流階級の両班かと思われる。 
白衣民族朝鮮 土の上で直に食事  ソウル 1900年 朝鮮人の食事風景。  残飯料理を作る為、立って膳をみつめながら食事の終了を待つ奴婢達。これが 朝鮮残飯料理“ビビンバ”の起源。 現在韓国朝鮮人は多くの朝鮮残飯料理を日帝強占期に日本が作り朝鮮に広めた等と言っているが、日本での残飯は廃棄か家畜(鶏・豚等)の餌になる。
白衣民族朝鮮 家屋では無く、土の上で直に食事  遊牧民エベンキ・ワイ族を祖とする韓国朝鮮人の伝統文化 生活様式。  糞尿にまみれた家の前の道ばたに藁で作った敷物を敷き食事をする。 旧韓国朝鮮では家にトイレが無く道ばたで排尿排便するか、仕切りの無い家の中で容器にして道端に捨てていた。 

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

「朝鮮の悲劇」 F・Aマッケンジー(カナダ)1908年 渡辺学訳 平凡社東洋文庫

 

明治三九年夏、二つの監獄を実際に訪れてみた。その最初のものは平壌で見たのであるが、そこでは一八人の男と一人の女が一つの監房に閉じこめられているのを見た。その男たちのうちの数人は木の柱にくくりつけられていた。囚人たちはやせ衰えており、その身体は恐ろしい病気の明白な徴候を示していた。
 
彼らの衣服は最低のものであり、その監房は筆舌につくし難いほどに不潔であり、何らの身体労働や労働もなしに、数年間も監房に閉じこめられたままなのであった。或囚人は六年もその監房に閉じこめられてきたと言うのであった。
次の監獄、宣川(平安北道)のそれはもっとひどかった。その監獄の中はとても暗くて、部屋に入ってからしばらくは何も見えないほどであったが、地上に縛り付けられている三人の男がそこにいた。彼らの首と足は台柱にくくりつけられ、手は縛り合わされていた。部屋には明かりもなく通風窓もなかった。
 
ただ僅かに壁に開けられた小さな穴があるだけであった。彼らの背には笞打ちで裂かれた恐ろしい傷跡があり、その手はきつく縛り付けた縄の為、所々骨が見えるほどに肉が裂けていた。そしてそれらの傷跡は、全く膿み放題になっていた。手足の上部は腫れ上がり、笞跡と水ぶくれができていた。一人の男の目はふさがっていて視力を失っており、まぶたからはたくさんの膿がたれ出ていた。多分両眼を笞でひっぱたかれたのであろう。男たちは終日動くこともなしに、こうして監禁されたままなのである。私は彼らを日の当たる場所に連れ出した。それは難しい作業であった。彼らのうちの一人は四肢が萎えてしまっていて、既に殆ど身体を動かすことが出来なくなっていた。彼らはみんな飢え衰えて、なにかを嘆願したり抗議したりする気力も失ってしまっていた。そこは私のこれまでに見た限りでの地獄への一歩手前であった。

白衣民族朝鮮 日本統治以前の監獄  当時の監獄施設は非常に劣悪な環境にあった。 日韓併合前の収監は 一坪(畳二枚分)のスペースに、十五〜六人を収容。これを日本が併合後獄舎一坪あたりの収監者数を約二・九人まで大改善した。
白衣民族朝鮮 日韓併合前の笞刑(ちけい) WHIPPING PRISONER 1903年  1910年日本統治以降日本はムチの規定を細く短く変え10年間許諾したが併合後の大正9(1920)年 日本がムチ打ち刑を廃止。
白衣民族朝鮮 日韓併合前の笞刑  笞(むち)の形状 併合前の笞の長さは3尺5寸(106cm)、厚みは2分7厘(8.2mm) 併合後の笞の長さは1尺8寸(55cm)、厚みは2分5厘(7.6mm) 受刑者の痛みは数分の一に減少。
白衣民族朝鮮 日韓併合前の笞刑  併合前までは姦通罪の女性に対して苛酷な笞刑を行っていたが、併合により女性や16歳未満の男児への笞刑を禁止した。

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

「悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト(スウェーデン)1912年 白帝社

 

朝鮮の監獄(抜粋)

 

大きな厚い枷を肩にかけ、足に鎖をした20人あまり塀に沿って座っている。片隅には好奇心いっぱいの人々が立っており、もう一方には端正でない軍人たちが地面に小銃を投げ捨てたまま、大きくて平たい岩の上に座っている。

刑の執行はすぐに始まった。看守長が命令を下すと、二人の執行人がそれぞれ配置についた、彼らは最後にもう一度鞭を空中で鳴らしてみてから笞刑を開始した。最初のひと打ちは鋭い音で、銅色の尻は真っ赤な痕跡を鮮やかに残した。哀れな囚人はびくっとして全身を縮めたので、縛ってある板が倒れんばかりであった。二度目の鞭で、彼は骨にしみるような悲鳴をあげた。その体が13回も繰り返しめった打ちにあうや、悲鳴をあげていた囚人も結局気を失ってしまった。

すると、刑の執行が一時中断となり、囚人の頭の上に冷水がぶっかけられる。囚人はひとしきり体をぶるっと震わせてけいれんを続けたが、意識を取り戻した。
彼は呻きながら許してくれと哀願した。しかし法の執行にはいささかの情の挟まれることも不可能で、彼にはまだ笞刑12回分が残っていた。こうして刑の執行が終わってみると、囚人の体はもはや人間のそれでなく、ただの血だらけの肉塊にすぎなかった。

棒の使い道は、チュリの刑罰を与えることにあった。囚人の足の内側に棒をはさんで、執行人たちは、自分の体重をすべて棒の片側にかけた。囚人が続けざまに吐き出す叫び声は、聞いていてもじつに凄惨なものだった。足の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声も囚人の凄絶な悲鳴も止まった。全身縛られた状態であるにかかわらず、上体を起こした死刑囚は、ほとんど座った姿勢になった。
顔には、死人のそれのようにまったく血の気がなく、唇は、固く閉じられてひとつの細い真っ青な線になっている。両の目は白目をむいており、額からは冷たい汗が雨のようにしたたり落ちた。首が力なく垂れた。体がだらりと地面にのびた。死刑執行人が棒をはずし、乱暴な手つきで実際に完全に手足が折れたかどうか調べている間も、囚人は、何も感じない死んだ羊のごとくじっと倒れたままだった。

気絶した囚人は、ややあって意識をとりもどした。カなく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは、囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を絞めて殺し、その死体をどこへやら引きずっていった。

白衣民族朝鮮 日韓併合前の朝鮮受刑者 首枷(くびかせ)  
白衣民族朝鮮 日韓併合前の朝鮮受刑者 足枷(あしかせ) 
白衣民族朝鮮 チュリの刑罰 撮影年代不明  死刑囚の脚の間に二本の棒をはさみ入れ、二人の死刑執行人がそれぞれの棒の端に体重をかけて死刑囚の脚の骨を折り砕く。悲鳴をあげる死刑囚に、さらに追い打ちをかけるように次いで腕と肋骨を折る。最後に絹紐で首を絞めて殺す。
白衣民族朝鮮 日韓併合前の笞刑  李朝の太祖李成桂以来、数百年間つづいた笞刑制度は1920年朝鮮総督府により廃止された。  しかし,現在韓国では日帝が朝鮮民衆の独立運動を抑圧するために笞刑を始めたなどと子供達に教えている。

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

 

細井肇 著「漢城の風雲と名士」
『政治史』第77巻、豚犬的生活五より
 

 

 

「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。・・・(中略)・・・
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような、「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を見ないことはなく、辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を襲い目を顰めない人はいない。さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。全く持ってとんでもない話である。毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない・・・」

 

『李完用侯の心事と日韓和合』    朝鮮全権大使 李成玉

 

現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を もつことはできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。 そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を 言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、 人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の 朝鮮人観を基に考察したのだ。

白衣民族朝鮮 朝鮮人 甕(かめ)を運ぶ人達  運送業か。
白衣民族朝鮮 朝鮮人 履物を売る人たち 
白衣民族朝鮮 朝鮮人 ソウル 1900年 鶏を売る人
白衣民族朝鮮 朝鮮人猟師  猟師の身分は賎人(チョニン)で良人(ヤンイン)ではない。 入浴しない為、汚れや垢で肌が黒く焼けている。 

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

李氏朝鮮社会

 

チマチョゴリ

胸を露出している女性の服装は、現在の朝鮮人の民族衣装であるチマチョゴリの原型。
家の跡取りである長男を出産した女性にしか胸の露出は許されず、乳出しは当時の朝鮮女性の誇りであったよう。

 

名前が無い女性達

当時、朝鮮女性には名前が無かった。

李氏朝鮮で女性は子供を作る為の道具、あるいは男性の性欲処理の道具でしかなかった。

日本統治で悪辣な李氏朝鮮の諸制度全てを廃止し、女性に名前も付いた。

 

李氏朝鮮には日韓併合するまで「試し腹」や「寡婦(かふ・未亡人)の強奪」という風習があった。

  

「試し腹」とは、嫁に出す娘が、確かに妊娠できる事を証明するために親兄弟で娘を強姦して妊娠した状態で嫁に出す風習。 生まれる子供は奴隷身分。

 

「寡婦の強奪」とは、下層階級の独身男や妻を亡くしたヤモメが援護者をつのって武器を持ち、夜陰に乗じ寡婦が居る家を襲撃、寡婦を拉致強姦して自分のものにする、という旧韓国朝鮮独特な慣習。援護者の中には、依頼者の家や寡婦を隠匿しておく家にたどり着く前に寡婦を強姦して我が物とした様。

 

 

貢女(コンニョ) と朝鮮社会

 

李氏朝鮮ではニ千年の長きに渡り多くの女性を毎年貢女(コンニョ) として宗主国の古代中国・元(モンゴル)・清(現中国)に貢いでいた。その結果、男性の数に比して女性の数が少なくなり獣の如く父親と娘、母親と息子、兄妹同士など近親相姦が常態化し、1910年の日韓併合まで続いた。

近親相姦の常態化により韓国朝鮮人の遺伝子DNA塩基配列が異常になり現在に至る。

(米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データより抜粋)

白衣民族朝鮮 チマチョゴリ  上流階級と思われる胸を露出した夫人の食事風景。  日本統治まで李氏朝鮮には布の染色や縫い針を作る技術が無く、針や糸や色付き布は全て中国から輸入していた。 
白衣民族朝鮮 1903年 日傘を使う上流階級の子女  朝鮮半島の殆どの人達の衣服は生成白木綿で、李氏朝鮮人は白衣民族と言われた。
白衣民族朝鮮 チマチョゴリの朝鮮の女性   朝鮮では洗濯をすると生地が痛むので容易く洗濯はせず汚れたまま着続けた。
白衣民族朝鮮 チマチョゴリ  男の子を連れたおかあさん。 胸(乳房)を出すのは男の子を出産出来た女性だけ。  

白衣民族朝鮮 日本統治前の朝鮮半島

 

韓国人の遺伝子の特徴について

 

米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば,朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり,これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か,あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だったことを発表している。 
韓国では李氏朝鮮時代の昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。現在の韓国で遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。
朝鮮民族は近親相姦の物と思われるゲノム上の痕跡(修正不能)が多すぎて、他の民族では考えられない異常な近親相姦を、民族として繰り返してたと思われるあまりにショッキングで常軌を逸した内容なのでそのゲノムの発表は出来ない。

また、朝鮮人男性の40%に発症すると言われる統合失調症も、それが原因である可能性が大きく異常な民族と言わざるを得ない。

この内容は近親婚・近親相姦が民族全体で行われ少なくとも李氏朝鮮時代に国家全体で行われていた可能性が極めて高いことを示しているが統合失調症の発症率が異常なまでに高いことから概ね納得できる根拠だと思われる。(韓国以外の国の統合失調症の占める割合は概ね人口の1%、100人に1人程度)

また統合失調症とは別に韓国人だけに見られる精神疾患として憤怒調節障害というものがありその精神疾患は男女の半数以上に見られ10人に一人は精神科での治療を要すると見られている。

憤怒調節障害とは朝鮮人だけに見られる俗にいう火病のこと。感情の抑制が効かなくなり自身でコントロールすることが出来ず、ヒステリックに喚き散らした後、口から泡を吹いて地面に倒れこみ昏倒する等極めて異常な症状。

 

(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution. 1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0

お問い合わせはこちら