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白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

「朝鮮事情」シャルル・ダレ著
金容権訳 東洋文庫

 

○官吏の地位は公然と売買され、それを買った人は、当然その費用を取り戻そうと努め、そのためには体裁をかまおうとさえしない。上は道知事から最も下級の小役人にいたるまで、徴税や訴訟やその他のすべての機会を利用して、それぞれの官吏は金をかせぐ。国王の御使すらも、極度の破廉恥さでその特権を濫用している。(p.71)

朝鮮における学問は、全く民族的なものではない。読む本といえば中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。公開試験〔科挙〕は、最も学識があり最も有能な人に学位免許状が授与されるのではなく、最も多額の金を持った者や最も強力な保護者のいる人びとに対して与えられている。(p.135)

朝鮮においても、他のアジア諸国と同じように、風俗は甚だしく腐敗しており、その必然的な結果として、女性の一般的な地位は不快なほどみじめで低い状態にある。女性は、男性の伴侶としてではなく、奴隷もしくは慰みもの、あるいは労働力であるにすぎない。(p.212)

朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。(p.269)

○不思議なことに、軍隊は概して非常に弱い。彼らは重大な危機があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。(p.272)

衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんと清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でも、しばしば虫がついて破れたままの服を着用している。(pp.303-304)

朝鮮人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。(p.309)

商取り引きにおけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。航行の可能な河川は非常に少なく、ただいくつかの河川だけが船を通すが、それもごく制限された区域の航行が許されているだけである。この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。したがってほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。(pp.314-315)
アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。1860年から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。(p.323)

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 漢城(ソウル)の城壁  糞尿に塗れた伝統家屋の家並と濊ワイ族の子供達 1904年 George Rose 撮影   掘立小屋の草葺き屋根と見渡す限り禿山の連なり。なお禿山は植林植樹をせず、長年に亘る身を温める薪(まき)を作るための伐採や、木を燃やして灰を肥料にし、農を行なう「火田民」が原因。  
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 城壁から景色を見ている子供達
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 水売り人(飲み水)  濊ワイ族韓国朝鮮の井戸は大半が4尺(1.2メートル)前後の日本の井戸とは大違いの非常に浅い井戸の為、街中の全ての糞尿が雨水に溶けて土中にしみこみ、井戸水は汚れ放題であった。 これらに関し、朝鮮民族は川や用水路よりましと一向に気にはならない様。  
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 朝鮮ソウルの子供達 1903年 Herbert G. Ponting撮影  漢城(ソウル)の書堂(ソダン・私塾) 年齢が小さく行儀の良い子供達 子供の傍にはゴミが非常に多い。  

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

『李完用侯の心事と日韓和合』   
朝鮮全権大使 李成玉

朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べています。

 

現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を もつことはできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。 そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を 言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、 人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の 朝鮮人観を基に考察したのだ。



細井肇 著「漢城の風雲と名士」
『政治史』第77巻、豚犬的生活五より
 

 

「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。・・・(中略)・・・
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような、「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を見ないことはなく、辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を襲い目を顰めない人はいない。さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。全く持ってとんでもない話である。毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない・・・」

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 甕(かめ)を運ぶ人達
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 履物を売る人達
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 ソウル 1900年 鶏を売る人
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 朝鮮人猟師  猟師の身分は賎人(チョニン)で良人(ヤンイン)ではない。 入浴しない為、汚れや垢で肌が黒く焼けている。 なお、朝鮮人の汚れが酷い理由は、第一に洗顔や風呂に入る習慣が全く無かった事。 第二に綿織物の生地が傷むので洗濯を嫌った事。 総じて衛生観念が非常に乏しく、故に伝染病の蔓延が甚だしく、日本統治前の平均寿命が24歳であった。

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

 朝鮮民族 生活様式


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イザベラ バード

 

英国人女性旅行家Isabella L. Birdイザベラ・バード

「朝鮮紀行」(Korea and Her Neighbours)よりBird が見たSeoul

 

都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。
おまけに、その幅は
家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。
酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。
蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている。

Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。
古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。

結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 家並は「掘立小屋」 着物は全て麻あさ布か後の綿織物の「白衣」 女性が荷物を頭で運ぶ朝鮮の生活様式 入浴は生れ出た時のみ 白衣の洗濯は生地が傷むので殆どしない。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 家には床が無く地面に直で食事 「ビビンバ」などの残飯料理を作る為、立って膳をみつめながら食事の終了を待つ奴婢達。 現在韓国朝鮮人は多くの朝鮮残飯料理を日帝強占期に日本が作り朝鮮に広めた等と嘘を言っている。 しかし日本での残飯処理は廃棄か家畜(鶏等)や飼い犬の餌とし、人は食べない。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 エベンキ・ワイ族の末裔 彼等の先祖が北方の寒い地方に住んでいたことから、硬く凍った肉をかみ砕くために、顎(あご)と頬(ほほ)が発達し頬骨・鰓(えら)骨が尖り異様なほど左右に張る。又、酷い寒風の影響か目は笹の葉のように細長く目尻が上がり鼻が小さい。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 大韓帝国時代の風景 家の造りは屋根には瓦を葺かず草で葺ぎ、壁に馬などの糞を混ぜて建てる。窓も床もトイレも風呂も井戸も無い韓国朝鮮特有の「掘立小屋」  掘立小屋 ほったてごや : 基礎を置かず、柱を直接地に埋めて建てた小屋 粗末な家・・・広辞苑

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

イザベラ・バード『朝鮮紀行』より

 

「朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。

両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけかき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」

「当時はひとつの道に44人の地方行政官がおり、そのそれぞれに平均400人の部下がついていた。部下の仕事はもっぱら警察と税の取り立てで、その食事代だけをとってみても、ひとり月に2ドル、年に総額で39万2,400ドルかかる。総員1万7,600人のこの大集団は『生活給』をもらわず、究極的にくいものにされる以外なんの権利も特典もない農民から独自に『搾取』するのである。」

 

イザベラ・バード・ビショップ(Isabella Bird Bishop)

ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より

 

「市民は地上に瓦または藁を並べた平屋の下に潜り込んで生活している。いや不潔な道路に蠢動していると形容した方が良いだろうか。その道路は広くても二頭の馬が並べるほどではない。狭いところで大きな荷物を担いだ人が通ると、それだけで往来を塞いでしまうほどである。道路のはしには悪臭が辺り一面臭ってくる溝があり、路面は埃まみれの半分裸の子供達と、猛悪な犬とによって占領されている。」
「下水道は、市内の汚水を昼夜絶え間なく城外へと排せつしている。
そのため、下水道の泥は真っ黒で、遙かな昔からの汚水によって染められ悪臭を空気中に放散して旅人を悩ましている。」
「ソウルは汚いことと臭いことでは世界一である。」

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 手前左端の女性と右端の小さい子供は裸足(はだし)の白衣 他の人々も全て白衣 朝鮮では伝統的に、王族達を除き一般庶民が着る服は白一色の麻あさ布か後の綿織物 履物も白 そのため朝鮮民族は白衣民族と言われた。 洗濯は木の棒で叩くので衣服が傷みあまりしない ゆえに白衣が汚れ染み、色物の衣服を着て居る様に見える人が多い。 ちなみに洗濯は糞の澱む用水路や川で行なう。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 濊ワイ族韓国朝鮮の伝統家屋  石ころと牛や馬などの糞を入れた泥土の壁・草葺き屋根・窓無し・床板無し・風呂トイレ無し・井戸無しの家屋。 若い女性の頭の上には排尿排便等で使い川や用水路に捨てる重い陶器の「甕 かめ」  
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 京城(ソウル)市内 驚愕の光景  己等が糞尿を投棄している用水路で食物の野菜を洗う男達。 世界の旅行者が言う清浄と汚濁の違いが解らぬ未開の土人。 しかしエベンキ・ワイ族を祖とする朝鮮人としては至極当然の生活習慣。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 男も白衣 女も白衣 子供も白衣 履き物・足袋(たび)も白 帽子のみ黒      

白衣民族濊ワイ族 日本統治前


日韓併合前 韓国の諺(ことわざ)

・女は三日殴らないと狐になる
・他人の牛が逃げ回るのは見ものだ
・他人の家の火事見物をしない君子はい
 ない
・弟の死は肥し
・梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐った
 のは嫁にやる
・母親を売って友達を買う
・営門で頬を打たれ、家に帰って女房を
 殴る
・姑への腹立ち紛れに犬の腹をける
・あんな奴は生まずにカボチャでも産ん
 でおけば、煮て食べられたものを
・人が自分にそむくなら、むしろ自分が
 先にそむいてやる
・家と女房は手入れ次第
・野生のまくわ瓜は、最初に独り占めし
 た物が持ち主だ
・らい病患者の鼻の穴に差し込まれたに
 んにくの種もほじくって食べる
・一緒に井戸を掘り、一人で飲む
・自分の食えない飯なら灰でも入れてや
 る
・川に落ちた犬は、棒で叩け
・泣く子は餅を一つ余計にもらえる

[大和心を語るねづさんのひとりごと 李氏朝鮮の時代]より抜粋

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 韓国朝鮮人の家 掘立小屋 ほったてごや  日韓併合前の朝鮮の庶民住宅 韓国朝鮮人の強いものに媚びへつらう性根の「事大主義」で他国従属ニ千年の結果がこの有り様。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 1着しか無い白衣が濡れると困るので水辺では衣服を脱いで働く。下着は着用しておらず脱ぐと性器まで露出の全裸。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 伝統家屋の家並 丸い草葺き・土壁の住居はどこぞの大陸の民家と似ている。 
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 濊ワイ族の女性達 己等の糞尿が澱む用水路で白衣を木で叩いて洗濯をする よって生地が傷むので出来るだけ洗濯はしない。

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

「悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト(スウェーデン)1912年 白帝社

 

朝鮮の監獄(抜粋)

 

大きな厚い枷を肩にかけ、足に鎖をした20人あまり塀に沿って座っている。片隅には好奇心いっぱいの人々が立っており、もう一方には端正でない軍人たちが地面に小銃を投げ捨てたまま、大きくて平たい岩の上に座っている。

刑の執行はすぐに始まった。看守長が命令を下すと、二人の執行人がそれぞれ配置についた、彼らは最後にもう一度鞭を空中で鳴らしてみてから笞刑を開始した。最初のひと打ちは鋭い音で、銅色の尻は真っ赤な痕跡を鮮やかに残した。哀れな囚人はびくっとして全身を縮めたので、縛ってある板が倒れんばかりであった。二度目の鞭で、彼は骨にしみるような悲鳴をあげた。その体が13回も繰り返しめった打ちにあうや、悲鳴をあげていた囚人も結局気を失ってしまった。

すると、刑の執行が一時中断となり、囚人の頭の上に冷水がぶっかけられる。囚人はひとしきり体をぶるっと震わせてけいれんを続けたが、意識を取り戻した。
彼は呻きながら許してくれと哀願した。しかし法の執行にはいささかの情の挟まれることも不可能で、彼にはまだ笞刑12回分が残っていた。こうして刑の執行が終わってみると、囚人の体はもはや人間のそれでなく、ただの血だらけの肉塊にすぎなかった。

棒の使い道は、チュリの刑罰を与えることにあった。囚人の足の内側に棒をはさんで、執行人たちは、自分の体重をすべて棒の片側にかけた。囚人が続けざまに吐き出す叫び声は、聞いていてもじつに凄惨なものだった。足の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声も囚人の凄絶な悲鳴も止まった。全身縛られた状態であるにかかわらず、上体を起こした死刑囚は、ほとんど座った姿勢になった。顔には、死人のそれのようにまったく血の気がなく、唇は、固く閉じられてひとつの細い真っ青な線になっている。両の目は白目をむいており、額からは冷たい汗が雨のようにしたたり落ちた。首が力なく垂れた。体がだらりと地面にのびた。死刑執行人が棒をはずし、乱暴な手つきで実際に完全に手足が折れたかどうか調べている間も、囚人は、何も感じない死んだ羊のごとくじっと倒れたままだった。気絶した囚人は、ややあって意識をとりもどした。カなく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に身を横たえている。
執行人らは、囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を絞めて殺し、その死体をどこへやら引きずっていった。

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 韓国朝鮮女性受刑者 首枷(くびかせ)  白衣がこの色 汚れ放題 色物の様
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 朝鮮受刑者 足枷(あしかせ) 
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 周牢(チュリ)の刑罰  死刑囚の脚の間に二本の棒をはさみ入れ、二人の死刑執行人がそれぞれの棒の端に体重をかけて死刑囚の脚の骨を折り砕く。悲鳴をあげる死刑囚に、さらに追い打ちをかけるように次いで腕と肋骨を折る。最後に紐で首を絞めて殺す。  
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 笞刑(ちけい テヒョン)むち打ち刑 李朝の太祖李成桂以来、数百年間つづいた笞刑制度は1920年朝鮮総督府により廃止された。 しかし,現在韓国では日帝が朝鮮民衆の独立運動を抑圧するために笞刑を始めたなどと子供達に教えている。

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』より

 

「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」

「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」

「両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、自ら金銭を得るために様々な手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には金が無いと主張する。」

「すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎとる。のちに守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。」

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 朝鮮社会上位者の行列  乗り物は軺軒(チョホン・猫車) の一輪車。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 軺軒(チョホン・猫車)  朝鮮時代の正二品以上の官吏(大司憲や観察使、武将など)が乗った車。  旧韓国朝鮮には染色技術が無い為、王族等の上位者の衣服は宗主国清(現中国)から購入 上位者以外の人々は全て麻あさ布か後の綿織物の白衣を着る。 故に旧韓国朝鮮人を白衣民族と言う。 
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 両班 尹雄烈 (左) とその友人(1904年) 上流階級のひまつぶし。  李氏朝鮮の生活習慣や文化などは全てが宗主国の清国(現中国)からのもの。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 王宮 宮女(궁녀クンニョ)  李朝八賤の一つ 王宮での性の対象 女官たちは幼少時に宮中に入り、宮廷のしきたりや礼儀作法、ハングル、小学や大学などの様々な教養を15年の見習い期間の間に学んだ。

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アメリカ合衆国の作家
ジャック・ロンドン(Jack London、1876年1月12日-1916年11月22日)

『鉄の踵』を書いた米国の作家ジャック・ロンドンは20代後半、露日戦争の従軍記者として活動した。当時、約4か月間、戦場だった亡国前夜の朝鮮に滞在した彼が書いて送った文章等は様々な新聞、雑誌に掲載され、その文をまとめた本も出た。

「白人旅行者が初めて韓国に滞留する時、最初の何週間かは気持ち良さとはまったく縁遠い。もし繊細な人なら、二種類の強烈な欲求の間で葛藤しながら大部分の時間を過ごすだろう。一つは韓国人たちを殺したいという欲求であり、もう一つは自殺したいという欲求だ。個人的に私なら前者の選択をしただろう。」

当時の米国と比較すれば最低の社会インフラや不足した公共施設、物資などの影響もあったが、彼が何より耐えられないとしたのは惰弱で怠惰で盗み上手、そして弱者に強い韓国人たちの性格だった。自身が動物園の猿のように見せものになると、韓国人はすぐに不必要に好奇心が強いという非難を口にする。ロンドンは、韓国人がうまくできる事が「一つだけある」とし、荷物をひく動物のように黙々と荷物を運ぶことだと指摘している。

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 朝鮮では小屋にトイレが無く小屋の外の道端で排尿排便するか、仕切りの無い小屋の中で容器に大小便をして、傍に用水路が有れば用水路に、川が有れば川に、無ければ小屋の外の道端に捨てていた。 その糞の捨てた道端で敷物を敷き食事をし、終わるとそのままそこで寝る。     
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 旧韓国朝鮮 良家の暮らしぶり。  瓦葺の屋根で上流階級の両班の家かと思われるが造りが酷い。 
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 1900年 朝鮮ソウルの飲食の店。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 頭の上に甕(かめ)を載せた朝鮮の子供達  大人の女性と同じ姿。 顔や衣服は汚れ放題だが屈託の無い笑顔が可愛らしい。   

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

「朝鮮の悲劇」 F・Aマッケンジー(カナダ)1908年 渡辺学訳 平凡社東洋文庫

 

明治三九年夏、二つの監獄を実際に訪れてみた。その最初のものは平壌で見たのであるが、そこでは一八人の男と一人の女が一つの監房に閉じこめられているのを見た。その男たちのうちの数人は木の柱にくくりつけられていた。囚人たちはやせ衰えており、その身体は恐ろしい病気の明白な徴候を示していた。
 
彼らの衣服は最低のものであり、その監房は筆舌につくし難いほどに不潔であり、何らの身体労働や労働もなしに、数年間も監房に閉じこめられたままなのであった。或囚人は六年もその監房に閉じこめられてきたと言うのであった。
次の監獄、宣川(平安北道)のそれはもっとひどかった。その監獄の中はとても暗くて、部屋に入ってからしばらくは何も見えないほどであったが、地上に縛り付けられている三人の男がそこにいた。彼らの首と足は台柱にくくりつけられ、手は縛り合わされていた。部屋には明かりもなく通風窓もなかった。
 
ただ僅かに壁に開けられた小さな穴があるだけであった。彼らの背には笞打ちで裂かれた恐ろしい傷跡があり、その手はきつく縛り付けた縄の為、所々骨が見えるほどに肉が裂けていた。そしてそれらの傷跡は、全く膿み放題になっていた。手足の上部は腫れ上がり、笞跡と水ぶくれができていた。一人の男の目はふさがっていて視力を失っており、まぶたからはたくさんの膿がたれ出ていた。多分両眼を笞でひっぱたかれたのであろう。男たちは終日動くこともなしに、こうして監禁されたままなのである。私は彼らを日の当たる場所に連れ出した。それは難しい作業であった。彼らのうちの一人は四肢が萎えてしまっていて、既に殆ど身体を動かすことが出来なくなっていた。彼らはみんな飢え衰えて、なにかを嘆願したり抗議したりする気力も失ってしまっていた。そこは私のこれまでに見た限りでの地獄への一歩手前であった。

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 監獄 当時の監獄施設は非常に劣悪な環境にあった。 日韓併合前の収監は 一坪(畳二枚分)のスペースに、十五〜六人を収容。これを日本が併合後獄舎一坪あたりの収監者数を約二・九人まで大改善した。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 笞刑(ちけい テヒョン) WHIPPING PRISONER 1903年  1910年日本統治以降日本はムチの規定を細く短く変え10年間許諾したが併合後の大正9(1920)年 日本がムチ打ち刑を廃止。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 笞刑 笞(むち)の形状 併合前の笞の長さは3尺5寸(106cm)、厚みは2分7厘(8.2mm) 併合後の笞の長さは1尺8寸(55cm)、厚みは2分5厘(7.6mm) 受刑者の痛みは相当減少した。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 笞刑 併合前までは姦通罪の女性に対して苛酷な笞刑を行っていたが、併合により女性や16歳未満の男児への笞刑を禁止した。

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李氏朝鮮社会

身分の低い女性の「性」は自身や夫のものではなく、朝鮮王朝とその支配階級の両班官僚の所有物とされた

 

名前が無い女性達

当時、朝鮮女性には名前が無かった。

李氏朝鮮で女性は子供を作る為の道具、あるいは男性の性欲処理の道具でしかなかった。

 

李氏朝鮮には日韓併合するまで「試し腹」や「寡婦(かふ・未亡人)の強奪」という風習があった。

  

「試し腹」とは、嫁に出す娘が、確かに妊娠できる事を証明するために親兄弟で娘を強姦して妊娠した状態で嫁に出す風習。 生まれる子供は当然奴隷身分。

 

「寡婦の強奪」とは、下層階級の独身男や妻を亡くしたヤモメが援護者をつのって武器を持ち、夜陰に乗じ寡婦が居る家を襲撃、寡婦を拉致強姦して自分のものにする、という旧韓国朝鮮独特な慣習。援護者の中には、依頼者の家や寡婦を隠匿しておく家にたどり着く前に寡婦を強姦して我が物とした様。

チマチョゴリ

胸を露出している女性の服装は、現在の朝鮮人の民族衣装であるチマチョゴリの原型。
家の跡取りである長男を出産した女性にしか胸の露出は許されず、乳出しは当時の朝鮮女性の誇りであったよう。

 

貢女(コンニョ) と朝鮮社会

 

李氏朝鮮ではニ千年の長きに渡り多くの女性を毎年貢女(コンニョ) として宗主国の古代中国・元(モンゴル)・清(現中国)に貢いでいた。その結果、男性の数に比して女性の数が少なくなり獣の如く父親と娘、母親と息子、兄妹同士など近親相姦が常態化し、1910年の日韓併合まで続いた。

近親相姦の常態化により韓国朝鮮人の遺伝子DNA塩基配列が異常になり現在に至る。

(米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データより抜粋)

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 乳出しチョゴリ 跡継ぎの男子を産んだ女性 上流階級と思われる胸を露出した夫人の食事風景。日本統治まで李氏朝鮮には布の染色や縫い針を作る技術が無く、針や糸や色付き布は全て宗主国の清(現中国)から購入していた。 
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 乳出しチョゴリ  1903年 濊ワイ族特有の日傘を使う上流階級の子女  家の屋根は濊ワイ族特有の瓦屋根
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 乳出しチョゴリ  男の子を連れたおかあさん。 胸(乳房)を出すのは男の子を出産出来た女性だけ。     
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 乳出しチョゴリ  米をつく臼(うす)を地面に直に置く民族   

白衣民族濊ワイ族 日本統治前

 

病気治療

 

民間療法 

 

〇身不足(栄養不良)

・松の木に「寄生する木を」煎じて服す
 る 

・「南瓜の上に止まった」青蛙の後ろ足
 二本を食べる 

・6、7年経った洗濯棒の両端を削って焼
 き煎じて飲む(洗濯棒に霊的な信仰が
 ある) 

・十二・三歳の童の小便を服する 

・胎児を野菜と共に煮込み食べる(儒教
 文化の影響) 

〇気不足(神経衰弱)

・犬の汁を飲む(後の補身湯である) 

・古き火鉢を粉末にして空腹時に酒と混
 ぜて飲む(火鉢に霊的な信仰がある) 

・人胎(胎盤)の血を竹刀で切ってごま
 油と煮混ぜて食べる 

・人胎を丸薬をし丸呑みする 

・長男の胎盤を煎じて三回飲む(胎盤食
 は大陸では現在も行われている) 

〇肺病

・ニワトリの雛を生食する(後に煮込み
 料理となり、参鶏湯へとつながる) 

・人肉のかゆを食べる(凌遅刑に処せら
 れた罪人の死体が販売されていた) 
 

〇精神病

・頭上を焼く(灸の一種である) 

・美人の経水を飲む(現代の美人とは価
 値基準が違うので注意が必要である) 
 

〇内臓病

・犬の糞水を1日二三回服用 

・犬の脂を飲む 

・農家にて永年使用せし小便溜の桶を煎
 じて飲ませる(排泄物に神秘性を感じ
 る風潮の影響) 
 

〇高熱

・解熱剤として野人乾水(大便を水で溶
 いた物)を飲用する(李氏朝鮮時代・
 中宗) 

〇梅毒

・竹筒に焼酒(焼酎)を入れ、注ぎ口を
 蝋で塞ぎ、便壺の中で半年間漬け込
 む。便壺から取り出し竹筒をよく洗
 い、中の酒を飲用に用いる。半年以上
 の服用が理想的。 
 

〇肌荒れ

・小便を肌に塗り込む、特に小児の小便
 を重用する(小児の小便はきれいであ
 ると考えられていた) 
 

〇精力強化

・薪割りをする。(薪割りは腰を丈夫に
 して、性器の血液循環を円滑にすると
 考えられていた) 

・カイコの糞を食べる 

・蟻を炒めて食べる  

〇早漏

・馬糞を食べる(馬の精力にあやかった
 呪術的意味合いが濃い) 
 

〇産後の滋養

・わかめスープを産後の女性に食べさせ
 る。造血、血の浄化作用があり滋養が
 あると言われている。

参考資料
今村鞆『朝鮮風俗集』斯道館 その他 
 

「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 民間療法 腸チフス  京畿道 腸チフスを防ぐ牛の頭とニンニク。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 民間療法 マラリア  全羅南道 マラリヤを治すのに実父の姓名を足の裏に書いた。 患者が男ならば左足、女ならば右足の裏に書くという。 右足に「朴大容」と書かれている。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 民間療法 コレラ  唐辛子の力でコレラを退散させる。
「白衣民族濊ワイ族 」 日本統治前  最貧国朝鮮 民間療法 赤痢  慶尚北道 赤痢は器の上に箸を十文字に置き、中に水を注ぐ。 この水を飲むと治るという。
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